爆心地から約1・7キロの比治山橋(広島市南区)。15歳の女学生だった切明千枝子さん(92)はここで被爆。爆風で気を失った。
「目が覚めると、対岸は火の海で。皮膚が垂れ下がった大勢の中学生がぎゃーって悲鳴を上げて、橋を渡ってきましたよ」
当時の親柱などが残り、「被爆橋梁(きょうりょう)」として知られる橋には人々が行き交い、傍らを路面電車が走る。
朝日新聞広島版で14年続く連載「聞きたかったこと」。 約400人が被爆体験とその後の人生を語ってくれました。被爆77年の今年、忘れられない「あの場所」で再び話を聞きました。 当時の記事も再録しています。
建物の陰となり大けがを免れたが、市役所近くで建物疎開の作業をしていた後輩らは大やけどを負い、次々と亡くなった。校庭で火葬し、小さな淡いピンク色の骨を拾った光景は今も、くっきりと記憶に残る。
「忘れたいと思うほど、浮か…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル